2017年12月31日日曜日

2017年12月30日 雲仙ツーリング紀行

 今日は、ツーリングに行った。朝の6時10分に自宅を出た。空は真っ暗で、長袖シャツ4枚重ね着で、その上からトレーナーを着て、なおその上からジャンパーを着ても、体は凍えた。まず、福岡市南区の老司のセブンイレブンで朝食をとった。セブンイレブン自社ブランドの担々麺のカップ麺とセブンイレブン直火焼きソーセージマヨネーズおにぎりとから揚げ棒を食べた。体が少し温まった私は、暗闇に包まれた国道385号線を南に向かった。しばらくすると、カーブが連続する闇に包まれた所々濡れた385号線を走りながらエンジンブレーキの弱いオートマ車を運転する私は、少し恐怖を覚えた。筑前街道を国道34号線の手前に入るローソンでタバコ休憩をとった。少し明るくなった佐賀のローソンで、余りにも手が凍えたため、薄手の化学繊維の手袋を1対購入して、厚手の手袋と2枚重ねにした。

年の瀬の長崎街道は空いていて、鹿島方面に向かう国道207号線へはスムーズに走れた。207号線沿いの東郷のセブンイレブンでタバコ休憩をとった。207号線に限っては、鹿島市までは、薬屋とスーパーマーケットとコンビニ等が並ぶ何の面白みもない田舎の郊外の風景が広がっていた。すっかり明るくなった佐賀の空は、何だか靄に包まれたように晴れているのに視界がぼんやりとしていた。しかし、鹿島市を抜けてからは、田舎ののんびりとした海の光景が広がった。海苔の養殖用の杭だろう、細い棒が何本も海から突き出していた。また、お腹が減ってきたので、太良町のデイリーヤマザキで、特盛のどん兵衛のえび天うどんを食べた。デイリーヤマザキの前の町の案内板に「太良町 月の引力が見える町」というキャッチコピーがあった。太良町のほぼどこからでも有明海が望める。その有明海の干満の差を通して間接的に月の引力を感じることができるところ。それがこのキャッチコピーの意味らしい。207号線沿いの金崎から延びる堤防道路から島原半島に向かった。堤防道路は、思ったよりも広くて、快走できる直線道路だった。251号線を島原方面に向かったローソンでタバコ休憩をとった。時間は、午前11時頃だった。島原半島に到着するまで、何と5時間近くもかかった。

島原の穏やかな有明海を眺めた私は、県道131号線から雲仙へと向かった。高度を上げるにつれ先鋒のとんがった山々の容姿が見えてきた。半島のそそり立つ山々を眺めながら私は、雲仙温泉街へと入っていった。硫黄の煙が立ち込める雲仙地獄は、カップルや家族連れでいっぱいだった。私は、地獄めぐりをしようと思ったが、人がいっぱいだったので辞めにした。雲仙温泉の外れのところにある雲仙よか湯という日帰り入浴400円のところで、2017年11月25日に交通事故で負傷した左膝半月板の傷を癒すことにした。何せ、車に衝突されたのだから痛みも半端ではなかった。1月以上経った今でも、傷跡は痛む。痛みを少しでも和らげるために、雲仙温泉にやってきたのだ。

よか湯は、白濁した硫黄泉で、内湯は熱かった。内湯に20分ほど浸かった後、体と頭を洗った。その後、露天風呂に入った。露天風呂は、ぬるくて、心地よく30分ほど浸かった。温泉を出たときは、13時半だった。温泉を出た後、57号線を小浜方面へと向かった。途中にあるいのりの里で、大仏様にお祈りした。大日如来様の慈悲に溢れたお顔をうかがっていると、心が安まる思いだった。小浜の町は、煙がもくもくと上がっていて、いかにも温泉街という感じだった。小浜の町は、これまたカップルと家族連れが多く、一人で旅をしている私は、小浜の町をスルーした。
 
 小浜の町から諫早方面にちょっと向かったところに橘湾がよく見える海水浴場があったので、小浜の町のホットモットで注文した鯖弁当の大盛を食べながら、冬の薄い陽射しを受けて、きらきら輝く水面の静かな穏やかな海を眺めた。冬の誰もいないぽつねんとした海水浴場は、自然と私の心を穏やかにしてくれた。小舟が、北の方面に2隻浮かび、少し霞がかかったような薄く晴れた青空に飛行機雲が東と北に交差していた。冬の海の波音も穏やかで優しかった。海辺で40分ほど過ごした私は、一路福岡を目指した。
 
 自宅に到着したのは、20時30分だった。何と15時間近くもツーリングをしていたのだ。自宅に到着した私は、体が凍えて、しばらくふとんの中に潜り込んでいた。朝まで眠れなかったので、午前4時頃に腹筋と背筋と腕立て伏せを、240回ずつした。
 その後、日誌を書き始めた。