2019年4月28日日曜日

2019年4月28日(日)ゴールデンウィークツーリング紀行

 今日は、ツーリングに行ってきた。目的地は平戸である。真夜中の1時27分に福岡市南区長丘の自宅を出発した。道は真夜中なので空いている。なので、すいすいと最初の目的地である糸島市のファミマまで行けた。ファミマでカップラーメンとおにぎり2個の早い朝食を口に入れた。その後、糸島市の二又パーキングエリアまで快走した。玄界灘の海は暗くうねっていた。唐津市から伊万里市までのあいだの202号線を走っている時、物凄く寒かった。道路脇の温度計を見ると、5℃を表示していた。ライダーズスーツのない私にとってはつらい。伊万里市南波多町のファミマでしばらく身体を温めた。伊万里の町をすんなり通過し、204号線に入った。まだ時間は3時40分くらいだ。そのまま暗い伊万里湾を眺めながら、松浦市今福のセブンまで快走した。まだ時間が早いので、セブンでドライブ雑誌の立ち読みをした。しばらく、セブンで時間を潰し、今度は松浦市御厨のファミマで時間潰しとなった。御厨のファミマには6時頃までいた。外はすっかり明るくなっていた。いよいよ、平戸に到着した。到着時刻は7時頃だった。平戸で最初に向かったのは、亀岡神社だった。≪平戸城内にある「亀岡神社」は松浦藩主を祀った神社です。現在の神社が建てられたのは明治13年で、360余坪の敷地内に本殿、神楽殿、御札所、社務所があります。10月24日から10月27日までの秋の大祭は「平戸おくんち」として知られ、盛大にさまざまな神事が行われます。なかでも、1番から24番まで全ての舞が奉納される「大大神楽」は年に一度この「亀岡神社」でのみ奉納されます。≫
 次に向かったのは最教寺だ。≪弘法大師(空海)の霊場として名高い岩上町西高野山最教寺に、1988年(昭和63)
三重大塔としては、日本一の規模を誇る大塔が完成した。今は平戸の新しい観光名所として、連日多くの参拝者が訪れている。朱色で聳える三重大塔は、最教寺が弘法大師の1150年御遠忌を記念して、奥の院本殿横に建立したもので、相輪までの高さは、33.5mと雄大なものである。塔は、地下が暗黒の中を大日如来の胎内を巡る「胎蔵界めぐり」、大一層は、平戸松浦家第35代観中熈等身の不動明王などをまつる「明王威力殿」第二層は、現代一流書家の作品を展示する「墨華秀麗殿」大三層は、戦死者や寄進者の先祖の霊をまつる「雄健涅槃殿」からなり、大三層からは平戸城や市街地、平戸瀬戸を一望のもとに見渡すことができる。「霊宝館」には、松浦家第26代法印鎮信が朝鮮の役に従事した際、持ち帰ったといわれる「絹本着色仏涅槃図」のほか、「仏誕生図」、「愛染明王像」などが展示されている。≫
 次に向かったのは幸橋(オランダ橋)だ。≪その昔、城と城下町との往来は船であった。1669年(寛文9)第29代鎮信が、そこに木橋を架け幸橋と呼ばれた。1702年(元禄15)第30代棟が、これを石橋に改架した。これを別名「オランダ橋」という。これは、1600年始めオランダ商館の石造り建築に従事した石工、豊前からオランダ技法を伝授された石工によって架橋されたからだという。巧みに巨石をたたみ半月弧を描き美しい。1984年(昭和59)前面解体して改修復元され、同時に幸橋御門も復元された。2014年に愛の聖地として、日本ロマンス遺産より認定されました。≫
 次に向かったのは平戸城だ。≪松浦家二十六代鎮信は慶長四年亀岡に「日の岳城」を築いた。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うため「日の岳城」を焼却、平戸6万1700石と民を守った。以来90年間を「御館」で過ごすが、30代棟となって1704年「平戸城」の再築を開始、1718年完成した。明治6年廃城となり、昭和37年平戸市により復元された。≫平戸城の天守閣から眺めた平戸瀬戸は青く透き通っていた。
 次に向かったのは生月島だ。生月島を巡るながさきサンセットウェイの植物の緑と海の青のコントラストは本当に素晴らしかった。サンセットウェイを快走している途中で、宝亀教会に立ち寄った。≪宝亀湾を見下ろす高台にある宝亀教会。内壁の漆喰は住人が総出で貝殻を集め、自分たちの手で焼き、つくりあげられたといわれています。外海や黒島から運ばれたレンガや木材は、信徒たちが教会の丘まで背負って運ばれました。ここは人々の想いと力が集まってできた絆の深い教会なのです。≫教会の中はこじんまりとしていて、木造作り(床や椅子等)の温かみを感じさせてくれた。
 荘厳な平戸ザビエル記念教会≪平戸ザビエル記念教会は、長崎県平戸市鏡川町にあるカトリックの教会および聖堂である。教会の保護者は大天使ミカエルだが、聖フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して1971年にザビエルの像が聖堂の脇に建てられたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになり、その後、現在の名称にあらためられた。≫を見学したあと、福岡市南区長丘の自宅に帰着したのは18時40分頃だった。途中、雨にぱらぱら降られた。

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