2019年2月20日水曜日

2019年2月20日(水) A 志免町南里5丁目  足場組み

 今日は、志免町南里5丁目で足場組み作業に伴う交通誘導警備業務に従事した。初めの2時間くらいは晴れていたけれど、そのあと曇った。結構暖かい。春はもうすぐそこまで来ている、そのような感じを与えてくれる今日この頃だ。
 志免町は、福岡県の西部、福岡都市圏のほぼ中心に位置しており、福岡市また福岡空港に隣接した南北に細長い総面積8.7平方キロメートルの県下では3番目に小さな町だ。山岳はなく、須恵町・宇美町・大野城市に接する東南の丘陵地、福岡空港をはさんで福岡市と接する西南の丘陵地、そしてこのふたつの丘陵地の間を福岡市・糟屋町へと広がる平坦地からなっている。
明治22年に田富・吉原・志免・南里・別府・御手洗の6ヵ村が合併し、新しい「志免村」となり、昭和14年に町政を発足し、「志免町」となった。
戦前は海軍炭鉱、戦後は旧国鉄の志免炭鉱と、石炭の町として栄えていたが、昭和39年の閉山でおおきな打撃を受け人口は約1万6000人まで減少した。
しかし、福岡市の中心部まで約8キロメートルという地の利と温暖な気候に恵まれ、昭和40年以降は福岡市のベッドタウンとして住宅開発が進み、人口は着実に増加した。現在、人口は4万人を超え、人口密度は5,007人/平方キロメートル(平成22年国勢調査)と全国の町村では第1位の町になった。
町内には農地は少なく、工業団地には、機械、金属工業を中心として約170の事業所が立地している。
また、近年では、町の動脈である近隣の市町村を結ぶ福岡東環状線や県道福岡太宰府線などの幹線道路沿いに大型ショッピング店舗等が進出するなど、新たな商業集積がみられる。
 南里5丁目は志免町のイオンモール福岡から真直ぐ行ったところにあった。南里5丁目は新築の家が建ち並ぶ小綺麗な住宅街だった。
 8時05分頃にD飯塚のSEさん2人を載せた4tトラックが到着した。作業は8時15分から始まった。家の車庫にトラックは収まったので、片側交互通行業務はしなくて済んだ。それでも、SEさんが部材を降ろすとき、近くを車が通ると、「車が通ります」と声を掛けた。SEさんが2人だけだったので、少々時間はかかった。現場は朝の内は車の通りは多かったが、昼近くなると交通量は減った。
 足場組みの作業が終了したのは、12時35分頃だった。13時終了の日報を切って、今日の勤務は終了した。

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